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慣性力を「感じる」とは?

良く慣性力の説明で
「車が加速するときにシートに押しつけられる力を感じる」
等の説明がある。いろいろバリエーションはあって、電車だったりバスだったり、直線運動だったり回転運動だったり。しかし「感じる」ってのはどういう事だろうか?

「慣性力」とはあくまで「非慣性系」での「見かけの力」であり、物体に力が作用するわけではない。慣性系で静止している物体を、非慣性系で見る場合、つまり

自由落下するカメラで撮影された物体が、画面中を「上」にむかって飛んでいく

つうのは、別に物体に力が作用しているわけでもなんでもない。

自由落下するカメラで自由落下する物体を撮影して、画面中に静止している物体に、重力以外の力がはたいている訳でもなんでもない。

物体が、おお今「慣性力」が働いた、なんて感じるか?感じる訳がない。


地面という系、車という系、その中にいる人間という事ではないんだろう。では人間が系になってもいいのだろうか?「人間の認知」というものが座標系であるとすると、話がまたややこしくなる。人間に固定された系で、系が加速運動したとき=人間が加速運動したとき、人間が力を感じるとは?

逆に考えると、人自体が非慣性系となっていて、慣性系にあるものに対しての知覚によって、見かけのちからを認知する、つまり感じるということなのであろう。

非慣性系からの束縛がはずれれば、もはや力を感ずる事はないはず。人間が中に浮かんでいられるのであれば、電車の加速は、電車の壁への激突なしには知覚できない?空気というものの存在が、理想的な環境からのずれを引き起こす可能性が残ってしまうが。

さて、そうすると、非慣性系に束縛されている人間が、いったい何をもって、束縛から逃れているものを認知するのであろうか?結局、人間のセンサーというものがなにか?と言うことに帰着してしまうのかもしれない。

人間が完全な剛体であり、一部で非慣性系に束縛されているとすると、その接点から伝わる、非慣性系を非慣性系たらしめる加速=外力に対する反作用を認知する事になるのかもしれない。一般にセンサーなんてものは人間上に固定された系に対して、比較的自由で、外力からの影響から隔絶されたものだろう。そもそもそうでなければ、人間という器に対して働く外力の影響を、認知できやしない。

結局、慣性力を「感じる」ということは、人間が非慣性系に束縛されており、その人間内(外)の慣性系に従うセンタープローブの動きによって、つまりセンサープローブにかかる力を感じる、って事なのであろう。

そうすると、ここでいう慣性力というのは人間にかかる「見かけの力」なのであろうか?それともプローブの見かけの力なのであろうか?

地表にいる人間は自転による遠心力を感じているのであろうか?感じていないのであろうか?
ある瞬間になぜだか分からないけど重力だけが消失したと過程すると、その時はどのような力を「感じる」のだろうか?「感じない」のだろうか?

そもそも「感じる」という説明に問題があるのであろうか?