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少し『雑煮』の話でもしようか

新年もすでに一週間が過ぎ、仕事ははじまるし新学期もはじまって、さすがに今週末の成人の日を過ぎたら新年?いつまでもお正月ぼけしてちゃいけないよ、って事になる(ヨネ?)。

生まれも育ちも『大田舎?』なわけで、当然そこでの『雑煮』ってものに愛着がある。


名古屋のお雑煮 日本一シンプル。質素というよりむしろ貧相なのは何故?

正月気分を味わいたいなら『餅菜(正月菜)』と『花がつお』が必須なのだけれど、これがどちらも『大田舎』をはなれた今となっては入手しづらい。さすがに『花がつお』はあるでしょう?と思いきや、ここらで売っているものはいわゆる『だしとり』に使うもので食感がなにか微妙に違うような気がする。子供の頃に『これはだしをとるやつだからね』と言われて、試しに口にいれてみた記憶がふうふつと湧き上がる。きっと、西の方に移動していれば、たこ焼きとかお好み焼き用に、ふわっとうすくスライスした『花がつお』があるとおもうのだけど、そういう需要はないようだ。いっその事、しっかり研いだカンナと旨いかつお節でも手に入れて、大工さんに入門したいくらい。

保存食としてのお雑煮

『雑煮』の話をしようといったのは別にその中身を回顧したいわけではなくて、我が家で続いてた慣習について。30年近く前に手間がかかる事、そもそも杵が悪くなってしまった事からやめてしまった慣習。子供の頃はそれが当然と思っていたのだけれど、今となって考えるとずいぶんと古臭い事をつづけていたのだなぁとおもったり、できればもっと続けていきたい、今の子供たちにも体験させてあげられるといいなぁと回顧している事だったりする。

我が家では年末の差し迫った頃、だいたい12月29日か30日『餅つき』をしていた。すでに自動餅つき機は世の中に出回りはじめていて、他所の家ではもち米をセットすれば自動的に餅がつけるようになっていた時代。前日にもち米を研ぎ、水を切り、餅つきの準備を整え、当日には親戚がやってきて一日かけて餅をつく。多い時で10臼くらいついていたような記憶がある。

当日は当然もち米を『炊く』わけなのだが、家にはいわゆる竈があって、薪で火を起こし、竈でもち米を『蒸す』。10臼ってのは、餅つきと平行して『蒸し』作業、つきあがった餅を切り餅用に板状に『伸ばす』作業、お飾りように丸める作業、お昼に食べるように料理も平行して進めていく。子供はもっぱら竈の火の番で、竈の前に座り、親戚のおばちゃん達と話をしながら、ついでに七輪でおせち用の銀杏を煎る。小腹が空いたら、煎りたての銀杏をつまみ食い。加減を見るといっては蒸しあがったもち米をつまみ食い。

ある程度力がついてくると、火の番から餅つきの『つき手』への昇格。体が小さい頃は本格的につける訳でもなく、臼に投下されたばかりのもち米を杵で潰す作業員。

もちを返す作業はおばあちゃんが一手に引き受けていたかな。親戚のおばさんも時々交替していたけど、おばあちゃんが一番上手。母親は美容師だったりして、日々の仕事で手の皮が非常に薄く、熱い餅を手返しするのは少々酷。

お飾りを作るのは、仏前や店頭用の大きなものは父親が、子どもたちも自分の学習机に飾るものを。餅を伸ばすのは父親の専売特許。なんだか難しいらしく、修得する前に『餅つき』の習慣が途絶えてしまって、結局マスターできず。

つきたてのお餅でつくった上記「お雑煮」は、多分人生のなかで一番美味しいお雑煮だと思う。切り餅を煮てしまうとどうしても水っぽさというか、独特の食感が残る。「もちもち」の「つるつる」のお餅の食感は、つきたてのお餅でなければ味わえなしし、多分シンプルを極めた雑煮だからこそ味わえるものだとおもう。

そろそろ本題に入ろうか。

多い時で10臼強。お飾り用を除いて、約10枚の餅の板ができる。これをどうするとかというと、親戚(二家族)がそれぞれ2枚程度持ち帰る。そうすると、5~7枚の板が家には残る。2日もすると丁度良い硬さになるので、だいたいいつも『紅白歌合戦』をバックミュージックにおばあちゃんか父親が切り餅に切り分ける。6×8だったか、すでにあまり記憶にないが、店頭にならぶ切り餅の倍くらいの大きさの切り餅がどんどん出来上がる。ちなみに完全に固まってしまったら、ちょっとやそっとの事では切り出せない。普通の包丁じゃ歯がたたない。逆に柔らかいうちだと、包丁に餅がついてしまってすぐに切れなくなってしまう。適当な硬さになるのが1~2日くらいだったみたい。餅切り用の包丁ってのが家にはあって、普段は押入れにしまわれていた。大晦日に大活躍するのだけど、中華包丁のような麺切包丁の様な。菜切包丁でもないんだよなあれ。丁度良い硬さでも、やっぱり切り進めていくと包丁に餅がつく。そんな時は大根を切ると、不思議と餅がとれ、作業を再開できる。そんなこんなで数百の切り餅が出来上がる。

餅って保存が大変。すぐに黴る。じゃあどうしていたのかというと、大きな木桶に水をはり、その中に餅を浸しておく。結構これで大丈夫。数百もの餅をいれる冷蔵庫なんてないわけで、水につけておくしかない。

さて、そんな何百もの餅をどうするかというと、正月から毎日毎日食べる。3学期の間の朝食は毎日雑煮。来る日も来る日も。時々さすがに飽きてご飯の日があったりしたこともあるが、基本雑煮。毎日雑煮。小学校低学年の頃は餅一つか二つだったけど、成長につれて数も増え、最大で毎朝4個食べていた時があったような・・・・朝起きたあと聞かれる事は「餅何個いれる?」。だいたい3月に入ろうとする頃には餅のストックもなくなり、春の訪れと共に雑煮朝食は終わる。

なんの疑問も抱かずに、冬の朝食は雑煮なんだと思っていた。ごくごく自然に。でも、どうやら結構特殊だったのかもしれないなぁといつも正月になると思いだす。

この話がどこにつながるのかというと、名古屋雑煮、上のリンク先にも「なぜ質素なのか?」という問に対する答えが幾つか書かれている。が、個人的な経験に照らして答えると「保存食」だからにほかならない。多分雑煮というかお餅というのは二面性を持つもので、いわゆる「ハレ」の日のごちそうであるのと同時に非常に筋の良いh損色なのだと思う。質素な雑煮というのは、この保存食としての餅の消費をなんらかの形で反映させたものなのではないのだろうか。名古屋雑煮として画像検索してみると、蒲鉾を浮かばせたものや、他の具材が入っているものも出てくる。「ハレ」の日にはそれなりにトッピングも追加して食べていたのではないのだろうか。ただ、悪く言うと「ケチ」な民族性をうけ、同じでよいじゃんということになったのか、そもそもトッピングしようなんて事を思いつかなかったのかは、完全に想像の世界でなんとも言えないけれど。

最後にもうひとつの回顧録

有る年の年末年始は、実家から少しだけ離れた下宿先で迎えた。とりあえず「雑煮はたべにぁあかん」ということで、餅を手に入れ、次は「餅菜」と、年が開けてから開いている店をまわるのだが・・・どこもかしこも売り切れ。名古屋民族のソールフードとしての雑煮の重要性を再認識した次第である。みな年が明けないうちに買い占めてしまうのだろうか???

ただ、どうやって家では3月の頭まで「餅菜」を手に入れていたのだろうか?