「~スキル」って言葉が嫌い
最近とみに色々なところで「~スキル」という言葉を聞く。どうしても違和感というか、むしろ嫌悪感といってしまってもいいのではないのか?という感情をいだいてしまう。
「~スキル」自体が悪いとは思わないし、多分いろいろ効率的にすすめるためには必要な事なんだろうと『理解』する事はできるけれど、感情が追いつかない。
あるとき『小学校で九九を暗記させるのはまったくの無駄だ』といいきる人がいた。九九は暗記するものではなくて、その法則を理解していれば、適宜応用していけばいいんだと。ミニマムに必要な点を理解することで、
『いんいちがいち、いんにがに・・・』
とクラスで唱和するなんて馬鹿げた行為をする必要は全くない。
その時は、言っている事は正しいのだけど、特にその人にとっては正しいのだけど、多分にその他多数の子供にとっては、まったくもって無理難題を押し付ける事になるんだよ、九九を暗記するほうがその後の学習で「効率」が良いのだよ、と話をしていた。
で、多分「~スキル」に対する感情は、『九九の暗記』に対して彼の人が感じる感情と、かなり近いものなのではないだろうか?と思っている。
「~スキル」に示されている内容自体は、多くの場合『常識的』な事柄が多い。別段ルールというか「スキル」化しなくたっていいような事。
多くの『~スキル』にある「スキル化」というのは、『スキル』なしでは到達できない・達成できない・得られない結果を得るために、単純化されたツールを使いこなして出来るようにする事のように思う。実際、四則演算を行うために、暗算では大変なので、「そろばんの使い方」をマスターしたり、「電卓の使い方」をマスターしたりする。で、計算スキルを得る。
これは目的とする結果を得るために、より効率の良い事なのだけれど、じゃあ足し算できなくてもいいのだろうか?
8×8の答えを得るために、「はっぱろくじゅうし」と暗記するのだけれど、8×8がどういうことか理解する必要はないのだろうか?
今日、『アサーションスキル』なるものを聞いた。ぐぐったら
http://www.hoster.jp/2009/03/30/assertion-skill/
って記事もあった。『相手に受け入れてもらいやすい伝え方』なんだそうだ。で、最近はそのレクチャーというかセミナーが、新入社員教育等で行われているのだそうだ。確かに社会生活の効率化にとっては習得する事自体、良いことなのだろう。
セミナーに出たこともないし、関連するハウツー本を読んだこともない。そんな私が感じる事なんて、多分大きく実情からずれているのだとおもう。でも話を聞くと、というよりも、『アサーションスキル』という言葉が出てくる文脈や会話を聞くと、どうしても感じる「嫌悪感」。
『スキル』の取得が目的になってしまっていないだろうか?「九九」とは違って、『スキル』のベースになっている考え方自体が大事なのではないだろうか?その考え方を『見えなく』するような『ツール化』が、過剰に行われていないだろうか?
別件で、『電話は3コールで出ないと失礼』という文を見た。なぜ、失礼なのか?なぜ2コールではなくて、4コールでもなくて、3コールなのか?ベースとなる『基本的ルール』多分、常識とか社会通念とかそんな概念的なもの、もしくは経験則、そんなものがあって、ある時に『社会人スキル』と昇華されたのだろう。そして一旦昇華され、共通化された『スキル』は、『常識』としてさらに昇華されていく。
巷にあふれている『~スキル』に対する嫌悪感は、当分の間消えそうにない。