様式

とある申請というか申告に『専用の様式』がないので、作るという案件があった。どうやら『ユーザー』サイドからの希望もあるようだ。ただ、本当にそれで良いのか?という気がしてくる。

 

ここで問題になる『専用の様式』というのは、きっとWebかどこかに置かれて、必要な人はダウンロード出来て、もしくはどこかで入手できて、必要な情報を記入して提出するような類のものなのだとおもう。別に、それ自体が悪いとか問題があるとかいっているのではないのだが、運用によっては将来に不必要な種をまいているのではないだろうか?と危惧する。

 

問題になるケースというのは、必要な情報が記載されているにもかかわらず、『専用の様式』に沿わないものが発生した場合の対応。多分、そんな心配する必要もないのだろうと思うのだが、実生活では訳のわからない事態が生ずる事だってある。『専用の用紙』を必要とするような申請が多分いまでも存在するのだと思う。例えば、申請には非常に高度な専門性を必要としていて、それを担保するためのシステムとしての『専用の用紙』というのは十分にあり得るだろう。情報だけではなく、その用紙自身が、なにかを保証する類であれば、様式というよりもそれ自体が重要。一方で、そういったケースと混同して、情報が本質であるにもかかわらす、様式に囚われた判断が発生する場合がない、というか、『専用の様式』に馴染んだ社会で発生しないとは断言できない。

 

サンプルとしての様式はあって悪いわけではない。いつだって『教育的配慮』は必要で、さあ書類を出しなさいという時に、『任意の書式』といわれても、最初はそんな経験誰にだってないのだから、なにかの『見本』が必要。もしかしたら、それは『経験』的に取得していなければならない事なのかもしれないけれど、それだった最初の『経験』には何がしらの『見本』があったはず。

 

なぜ、申請書類のサンプルではだめなのだろうか?

 

ルーチンワーク的に提出せざるを得ない書類については、専用様式をつくってもらったほうが圧倒的に楽。様式というよりも、今ならフォームに必要事項を入力するだけで適当に体裁がととのったPDFでも出力してくれる方が圧倒的に楽。

 

ここではそういうケースを考えているのではなくて、本当に稀に、ほとんどの場合は提出する必要がなく、さらに提出する状況はその時々で大きく変わる事が想定されていて、どう考えても全てに対応するような『専用の様式』は非常に無駄の多いものになるだろうことが予想されるもの。しかも、それを社会的経験の浅い人が提出する事が想定されていて・・・・・