放射線と電磁波による健康被害

あまりこういう事を書くといろいろな人に怒られるような気がするのだが、戯れ言程度に書いてみる。つぶやくのは少々抵抗があるので、ここで発散。

放射線被曝による健康被害、『年間100ミリシーベルト以下であればそれほど心配する必要がない』というのは、間違ってもいないだろうし、かならずしも正確ではないだろう。結局のところ、有意がデーターの蓄積がないので、0ミリシーベルトから100ミリシーベルトの間での被曝による直接的影響を立証できていないだけ。閾値的な振る舞いをするという説もあれば、0〜100まで線形的にその影響はあらわれるという説もある。それこそどちらにも含まれない全く別の説だって唱えたっていい。

放射線が人体に『深刻な影響』を与えるのは、放射線が分子鎖を切ってしまう事にあるわけで、これは多分他の化学的作用は異なる特徴なので、一度被害が表面化したときの影響というのは単純に比較できるものではない、と考えるのは筋が通っているような気がする。

一方で、とはいえその結果現れる『がん』という症状に限定しておけば、その原因との間の確率的な関係は同じ土俵で議論ができる。

有意な影響が、他の要因と分離した状況で確認されているのは年間数100ミリシーベルトの被曝量に達した場合。0ミリシーベルトの被曝というのはこの世で生きている限りあり得ないわけなのだが、とりあえずそこを起点として、100ミリシーベルトまで線形の関係を引いておいて考えましょうというのが、現在の標準。

で、よく言われているのが、自然放射線による被曝量数ミリシーベルトでは10万人に1人の割合で発がんする確率になりますよ、ということ。結局確率的な議論でしかないし、それをするならば別のリストとの比較でしか議論はできないはず。数ミリシーベルトの被曝によるリスクを恐れるならば、もはや普通の生活は諦めなくてはならず、放射線だけに限らず、同レベルのリスクも排除して、やっと意味のある議論になるだろう。

と、思うわけなのだが、先日とある著名人が、線形の関係があるのだから、福島の20ミリシーベルトの限度を下げないといけない云々のコメントをしていた。個人としての意見、さらにどういう意味をもっているのかを正しく理解した上での発言であれば、それはその個人による線引き。『発がんが怖いのでタバコ吸いません』『墜落が怖いので飛行機のりません』『通り魔が怖いので人混みにいきません』と同レベルの発言であり、人様に迷惑かけない範囲で実践していただければよろし、という事になる。

しかしだ、その方、とある携帯電話にふか〜く関係している人なのだが、その直後に「携帯の電磁波」による健康被害」はないと、なにか参照しながらコメントしていらっしゃる。私個人としても、「電磁波による健康被害がある」と「放射線による健康被害がある」を同列であるなんて事は思わないので、至極まっとうな意見をいっていると、そのコメント自体に同意する事はやぶさかではないのだが、一連のコメントの中での矛盾を感じないでもない。

『携帯電話による健康被害』というのは実証されているわけではない、というのが現状なのだと思うのだが、それは電磁波の被曝による影響が0からある有意な値までの間、線形的な影響をもっているのか、閾値的な影響をもっているのか、だってパワーが強ければ当然影響ってのはあるわけで、結局その他の要因との比較の中で有意な結果を見いだせないって事なんではないか?

一方で、ある意味同じ程度にあやふやな議論をベースに危険を強調し、かたや危険を軽視する。しかもその軽視している物は、まさに商売で取り扱っているもの、となると、下手な勘ぐりをされたって弁解の余地はないと言われたってしょうがない。

実際携帯電話による健康被害ってのは、電磁波による直接的影響だけでなく、携帯依存症などを含めた精神健康被害、それからあの小さい画面を長時間見つめる事による視力を含む眼科的影響、さらに対人コミニュケーションに対する社会的影響、すべてをひっくるめた『健康被害』を考えだしたら、影響がないなんてあり得ない。

そもそも同じ土俵で語る事はナンセンスであるのは間違いであると百も承知、だけも語らずにはいられない戯れ言なり。